イイタイダケ

言いたいだけです。

実家暮らしって悪いこと?

最近、こどおじ(子ども部屋おじさん)なんて言葉が出だして、実家暮らし=甘えって論調が前より強くなってきた気がします。

私自身、結婚するまでは子ども部屋の住人だったのですが、ちょっと納得がいきません。前半は自分語りなので、興味がない方は後半から読んでみてくださいね。

 

 

前半:私の場合

前提

母・・・情緒不安定。家事下手。メシマズ。片付けられない女。超ドケチ。

父・・・学生時代に他界。

実家・・・持ち家。父が団信に入っていたのでローンは終了。超古マンション。室内はロクにリフォームしていないので汚い。住民による掃除当番などがあり、人間関係は密。

 

家を出たかった私

私は子どもの頃から、自分の生活を持つことに関心が強く、早く家を出たいと思っていました。また、母とは仲は悪くないものの、親子としての相性は最悪でした(過去記事に色々書いています)。さらには食事が不味い、掃除・洗濯をしないことにかなりイライラしていました。あ、母に不味いと言ったことは一度もないですよ!

じゃあ自分で家事をすれば? となりますが、私が家事をするとヒステリックに怒られるので、こっそりするしかなかったのもストレスでした。何故家事をすると怒るかと言うと、母自身の至らない点を責められている気分になるとのことでした。そんなことはないと何度も説明しましたが、解決することはできませんでした。また家事の量が増える=水道代やガス・電気代がもったいないと思っていたようです。

節約生活を強いられていたのも苦痛でした。もちろん子どもの頃は親のお金で生活するわけで、ある程度は仕方がないと思っていました。また、あなたの将来の学費のためと言われれば、反論しようがありません。しかし肉類は最安値の輸入鶏胸肉オンリー、シャワーの使用は制限付き、肌着以外は汚れるまで洗濯しない、散らかっていて家に人を呼べない生活は、思春期の女子に非常に辛いものがありました。

そして周囲の住人の干渉が強いことも嫌でした。早く、知らない人ばかりの土地に行きたいなあとずっと思っていました。

 

 

家を出なかった私

なら家を出れば? って話ですよね。私もそう思いました。が、学生時代に父が亡くなり、情緒不安定な母をひとりにすることに抵抗がありました。また、家を出るタイミングで事情が変わって、結局出る機会を失ってしまったこともあります。

仕事が安定したら家を出ようと思っていた→1年で離職。

20代も後半、仕事も安定、貯金も増えた→夫と出会い1-2年内に結婚する予定だからそのタイミングで家を出たらいいじゃん。

という感じです。

 

 

私の対策

そんなわけで私は結婚して家を出るまで実家暮らしでした。

持ち家なので、家賃という名目では払っていませんでしたが、当然生活費は渡していました。2人分としては十分な金額+自分が贅沢したい分の色をつけていました。贅沢って、シャワーを自由に使う、お弁当に家で炊いたお米を持って行くなどの些細な希望を出すたびに、5千円ずつ積み増しですよ。高過ぎですが、ドケチな母を納得させるためには仕方がありませんでした。

また、食べたいものは自分で買って帰るようになりました。もちろん母との2人分。正直、自分で料理した方が安くておいしいのですが、そこは母が怒るので触れないようにしました。惣菜なら腹が立たないらしいです。不思議。お弁当を作るのもなぜかOKだったので、簡単なものを自分で用意していました。

力仕事や電球を替えるなど、以前なら父親がやっていた作業は全て私が行いました。これは単に母が出来ないからです。ふすまや壁紙の貼り替えも自分でやりました。大型家電の買い替えやリフォーム代も出していました。水回りの工事は、私が業者と交渉しました。古い家具は自腹で買い替えました。私が購入したブルーレイレコーダーは、実家を出る際に母に取られてしまいましたとさ。

洗濯も、手洗いできるものは母が見ていない隙に済ませました。風呂掃除は子どもの頃から私の当番だったので続けていました。ものは動かせませんが、掃除機は家中マメにかけていました。自分の部屋だけは、子どもの頃からきれいにしていたので、できるだけそこで過ごすようにしていました。

このような生活だったので、私としては家を出た方がずっと楽なんだけど、といつも思っていました。何より、情緒不安定な母の影響を受けることが、精神的に一番辛かったです。

 

 

後半:実家暮らし=甘え?

ひとり暮らしってそんなに偉いの?

このような生活だったので、実家暮らし=甘えと言われてもピンときません。もちろんひとり暮らしの大変さは分かります。ただし、ひとりで住んではいるけれど、経済的な援助を受けたり、親が定期的にめんどうを見にくる人もいますよね。なのでひとり暮らしだからイコール偉い、自立しているとも言えないと思います。

また、実家の経済的な事情で家を出られない、むしろ子どもが親を援助している場合もありますよね。外から見た、実家に住んでいるという事情だけでひとくくりにするのは納得がいきません。

 

じゃあ結婚してたら偉い?

結婚していれば自立しているのでしょうか? 結婚式代から、家まで親がお金を出す家庭もありますよね。義妹は毎週末、子どもを連れて実家に帰っています。その間子どものめんどうを見るのは義父母です(義父母がよろこんでいるのでこの場合は親孝行ですが)。

経済的に配偶者に頼りきりの人、家事を全くしない人、様々ですよね。結婚している=実家暮らしの人に比べて自立しているというわけではないと思います。

 

昔とは事情が違う

親世代が長く働く=若い世代の給料が出ないという状況の中、じゃあどこからお金を出すの? というと、親世代の財布から出すしかないのでしょう。以前は50代で定年を迎えていたんですよ。

さらにさかのぼれば、親はさっさと隠居して、子に家業を継がせていたんですよね。今では家業がある方が珍しいので、継がせるものがない。

結婚する平均年齢が上がり、独身時代は長くなり、未婚の人が増えている。参考になる過去がないんです。昔だったら、自分だったらで語る人は情報のアップデートができていないんじゃないでしょうか。

まして、キモいなんて感情論は論外です。成功とか体験とか言う人もいますが、それは実家暮らしでは絶対にできなかったものなのでしょうか?

親のありがたみっていうなら、実家の家事を全て自分で負担してみたらいいのでは? 自由の有無は親子関係の問題です。実家暮らしの問題ではありません。

 

典型的なこどおば

前の職場に、子ども部屋おばさん(というと失礼ですが、優しい先輩です)がいました。家事はお弁当作りに至るまで全て親まかせで、一般的にイメージされるいわゆるこどおばです。

しかし、その先輩の母親は、子どものめんどうを見ることが生きがいのタイプで、それを奪うことができないとのことでした。また、生涯独身であること、将来的には介護をする覚悟をしていました。

いろんな事情があるんだなあと思ったものです。

 

ひとり暮らし歴が長い夫の場合

夫は大学が実家から遠方のため、ひとり暮らしをしていました。費用に関しては奨学金&アルバイトで苦労したようですが、家事はほとんどしなかったようです。炊飯器にキノコを生やす才能はあるとのこと。

結婚した際の引っ越しの手続きも全て私任せでした(書類を見ると文字通りフリーズするので、諦めました)。結婚後は手続きも家事もするようになりましたが(またはさせた)。

また、長期留学の経験もあるのに、旅行の手続きができません。源泉徴収票の書き方も毎年質問してきます。貯金をするという発想もありませんでした。今までどうやって生活してたのか不明です。

ソースが少なすぎますが、ひとり暮らしって本当に自立できるの? と疑問です。

 

ひとり暮らしをしないと困ることになる?

逆にひとり暮らしの経験をしたことがない私ですが、結婚後、引っ越し関連から始まって手続きで困ったことは特にありません。もちろん初めてのことなのでいろいろ調べて時間はかかりましたし、不安に思うことはありました。しかし不備があって生活できないということはありませんでした。

また、自分で家事ができることがうれしすぎて、今は毎日が楽しいです。もちろん全て初めから上手にできたわけではありませんが、家事に関しても問題を感じません。むしろマメだと人に感心される方です。

 

実家暮らしは結婚できない?

ちなみに私が出会った頃の夫は実家に戻っていました。実家の近くに就職したためです。そして家事は親まかせでした。なのでこどおじ=結婚できないに反論する一つの例となります。まあ私にモテたい人はいないと思うのであまり意味はないかな。

 

 

まとめ:実家暮らしって良いこと?

家族単位で家計・家事を考えませんか?

夫婦なら、夫と妻2人の事情で経済的負担・家事の負担を決めますよね。実家でも同じようにしないのですか? 稼げる人、時間に余裕がある人、家事が得意な人、苦手な人。それぞれの事情で話し合えばよいのではないでしょうか。

実家だから、親子だからと特別なフィルターをかけすぎな気がします。結婚・同棲・ルームシェア、様々な形で他人と暮らすのと同じように、実家での生活も考えればよいと思います。

 

選択肢を増やそう

一生実家暮らしをする必要もないんです。出て、戻ってもいいんです。その時に一番いい選択をすればいいと思います。若い間は給料も安いですし、私のように短期離職する人もいると思います。そんな時、お金に困っているからとりあえずすぐに転職しよう! →またブラック企業のループに陥るよりは、一時的に家族に甘えてもいいと思います。

※揚げ足取る人がいそうなので、先に書いておくと、無職の間も働いていた時と同じ金額は入れていました。なので完全に甘えていたわけではありません。ただしかかる金額がひとり暮らしよりは安く済むため、助かりました。

逆に親が困っている時に助けることもできます。ひとり暮らしで余裕がないよりは、実家暮らしでお互い助け合った方がいい場合もあります。

実家暮らしだから/ひとり暮らしだから、良い/悪いではなく、選択肢を増やすことが大事だと思います。

 

新年の抱負は新年に立てない/2021年は合理性より欲求を優先

今さらですが、あけましておめでとうございます。

気がつけばお正月も過ぎ、もう1月も半ば。日が経つのが早くて驚きます。

 

毎年、一年間の目標や抱負を決めています。しかし年末年始ではなく、いつも9-11月ごろに決めて、さっさと実行することにしています。なぜかというと、お正月頃は普段と生活リズムも違いますし、誘惑も多いので早々に挫折しやすいからです。 

そんなわけで2020年の暮れから早速心がけていることは、「合理性より欲求を優先する」です。逆じゃない? 合理性を優先するのでは? と思われそうですね。

これは理由がありまして、私が超合理主義者だからです。子どもの頃から「合理的であること=正しい」と思い込んで育ってきました。そのため合理性を優先することが当たり前なんです。そうすると、自分の欲求をないがしろにしてしまうことが多々あるんです。小さなことではありますが、疲れたら休むとか、眠いときは寝るとかそんな当たり前のことも無視してしまいがちなんです。

若いときはこの性格のおかげで達成できたこともたくさんあったのですが、そろそろ無理のきかない年になりました。前の職場ではこの無理が、周囲から当たり前とみなされてしまって壊れかけました。そのため、新しい環境では自分自身が望むことを優先するようにしています。

 

ちなみにブログやTwitterは特に利益もないのに、ただ書きたいという欲求に従っており、やりたいことを素直にやる良いトレーニングになったなーと思っています。

こんな感じで書きたいことだけを書いていくブログですが、本年もよろしくお願いいたします。

 

 

最近のお笑いはおもしろくない? 『知のリテラシー文化』を読んで気がついたこと

家にはテレビがありません。特に信念があるわけではなく、引っ越した際に買わなかっただけでなんです。そのまま7年の月日が経過しましが、特に不自由は感じていません。

 

最近のテレビはおもしろくない?

そのため、テレビを見ることはほとんどありません。そして実家などで久しぶりにテレビを見たときに、不思議に思ったことがあります。それはおもしろくないということです。特に最近のお笑い芸人さんで笑えたことがありません。ふと世の中から置いていかれたような、不思議な気持ちになりました。これはテレビやお笑い芸人さんのレベルが落ちたということでしょうか? そこである仮説が思い浮かびました。

 

笑うためには「お約束」の知識が必要

それは、笑うためには「お約束」を学ぶことが必要だということです。吉本新喜劇で育った関西人なので、昔の吉本を例にします。基本、芸人さんによって善人・悪人・美男・美女・お笑い担当は分かれています。役柄を交代することはまれです。よってこの芸人さんが言っていることは正しい・悪い・カッコイイ・カワイイ・おもしろいことなんだということがすぐにわかるんですね。

あの人が出てきたら笑う。この流れなら笑う。定番のギャグを言ったら笑う。毎週見る中で自然と学んできたことです。テレビをほとんど見なくなった私は、今のテレビの「お約束」を学ぶ機会が無くなってしまったのではないかと思うのです。

 

 

『知のリテラシー文化』

 なんてことを考えていたときに出会ったのが『知のリテラシー文化』という本です。

 「リテラシー」とは「読み書き能力」のことをいい、拡大してものごとを読み解く力と解釈します。「文化」とは「ごくふつうのこと」を指します。
本書はマンガ、ファッション、映画、音楽、建築、写真、絵画、美術工芸品、食文化、スポーツなどの、日常生活の中に浸透している「文化」の「リテラシー」について解説した本です。

 

 

どうしてマンガが読めるの?

「今の日本の子どもは、歴史的にみても世界的にみても複雑な「文法」を持つマンガの読み方を、5、6才から小学校4年生くらいまでの間に、学習しおえてしまう」

『知のリテラシー文化』

よく考えればすごいことですよね。文字ばかりの本を読むのが苦手でも、マンガなら読めるという人は多いのではないでしょうか。ちなみに、子どもがマンガを読めるようになるのは、知育雑誌が多大に貢献しているそうです。小学◯年生みたいなやつですね。

マンガにも「お約束」があります。たとえば「音喩」についてです。「音喩」とは従来の擬音語や擬態語の範疇に収まらない、マンガ特有の効果音のことです。有名なのは静かな状態を表す「シーン」ですね。実際に「シーン」と鳴っているわけはないのですが、私たちはそれを静寂と理解します。これはマンガの「リテラシー」を身につけているからできることです。



映画のカメラ目線問題

通常、リアリティーを追求する映画の画面で、カメラ目線はありえません。しかしミュージカル映画ではカメラ目線を多用することは珍しくありません。これも「お約束」ですね。あるジャンルでは禁止されている手法が、特定のジャンルでは許容されているという場合もあります。

 

「へー、その音楽好きなんだ」

個人の音楽的な好みの問題は、その好みを強調することで、他者との関係を規定し、自分の社会的な位置を確認することにもつながります。

『知のリテラシー文化』P.77

個人が趣味・趣向を通じて、ある特定の文化的、あるいは芸術的作品に正当性を認めたり、価値をおくことは象徴的闘争だ

ピエール・プルデュー『ディスクタンクシオン1・2』より
『知のリテラシー文化』P.77

 

 

思い当たることはありませんか? 

自分の趣味・趣向を通じて、他人との違いを見出し、自分を引き立たせることで、他人よりも優越した立場になろうと卓越化・差別化をはかろうとしているということなのです。

『知のリテラシー文化』P.77

文化的な正当性を強調することで支配的な階層秩序を保とうとする。

 『知のリテラシー文化』P.77

マイナーな曲を聴いている方が、趣味がいい、偉いみたいな風潮。メジャーな音楽を聴いている人に対するマウンティング。こんな心理的背景があったんだとおもしろく思いました。

 

 ちょっと長いのですが、本書で特に感銘を受けた文章を引用します。

自分の感動した音楽体験を誰かに伝えたいのに、「言葉では説明できない」、その感動を言語化できない、というもどかしさを覚えた経験があるでしょう。バルトは、音楽が言葉では語りえないところにこそ、価値があるとしたのです。私たちの生きる世界は言語によって分節化され、言語活動によって支えられています。しかし、音楽という形式が、この言葉で分節化された世界や言葉による意味作用を飛び越えて、直接私たちの身体に意味変化を生じさせる。これこそが音楽の美的体験であり、音楽を聞くことの感動や悦びであるあるというのです。
くわえてバルトは音楽的快楽に関係するのは与えられた意味ではなく、意味を作っていくこと、つまり意味形成の働きだといっています。私たちの音楽への喜ばしき反応は、意味自体に対する反応ではなく意味を作ることに対する反応だとします。

『知のリテラシー文化』P.81

音楽に対して持っている「言葉では説明できない」感覚の説明として、とてもしっくりきました。音楽だけではなく、様々な芸術作品や、自然の美しさ、人の優しさなどに触れたときの「言葉では説明できない」感覚もこのように言語化できないかなあと考えています。

 

写真とは視界の「フレーミング

Instagramのキラキラ女子はこの「フレーミング」が上手いイメージがあります。フレームの外にあるものもイメージできれば視野が広がりそう。

「公権力によるメディア・フレームのコントロール」という言葉にハッとしました。ニュースでもありますよね、悪意のある切り取り方をしたタイトルとか。

 

絵画と無意識の関係

シュルレアリスム=「心の純粋なオートマティスム(自動現象)」という表現に興味を持ちました。シュルレアリスムの出発点は自動記述の実験でした。自動記述とは、「熟考せず、スピードにのって自分の意識に浮かぶものを機械的に書くという方法」だそうです。これは自由連想法というフロイトの治療法からヒントを得たものなんですって。

これ、モーニング・ページにそっくり! とおどろきました。

aoio-o.hateblo.jp

シュルレアリスムフロイトの無意識の理論をはじめとする、当時の精神医学や精神分析への関心と芸術や文学についての思索が結びついて生まれたものなのだそうです。ちょうど今、心理学の本を読んでいるので、とてもわかりやすい。

対して、記号表現(意味するものシニフィアン)/記号内容(意味されるものシニフィエ)という内容が出てくるのですが、さっぱり理解できませんでした。これは私が記号論の「リテラシー」を持っていないからですね。これから勉強します。

 

食文化と健康

本書では、「健康」とは非常に曖昧な概念であることを指摘しています。米飯=日本人主食という考えも、古くからあるわけではないというのが意外でした。確かに、日本人全員が白米を食べられるようになったのって、そんなに古い話じゃないですよね。

義母がいわゆる自然派の人なんですね。自然=正しい。玄米=病気が治る。みたいな考えの人で。対して夫はいわゆる研究職なので、義母の情報は正確な実験データがないと言い喧嘩になるんです。これは「リテラシー」格差から起きる断絶ですかね。

 

『知のリテラシー文化』を読んで

大学の教科書として利用されることを想定して書かれた本です。どこの学部で学ぶ内容なのかな? 文学部? 社会学部? 私はこのような、記号論的な分野には疎いので、本書の内容はむずかしく感じました。まさに「リテラシー」がない状態ですね。でもおもしろかったので、これから勉強していきたいと思います。

そして私が立てた「お約束」がないから理解ができないのではないかという仮説が、「リテラシー」という言葉で説明されていて、スッキリしました。

 

リテラシー」格差

貧富の差が話題になってきていますが、これからは「リテラシー」の差も大きな問題になりそうですね。私はtwitterが好きでよく見ていますが、「リテラシー」に差がある人同士でまったく話がかみ合っていない状況をよく見かけます。「IQが20違うと会話が通じない」なんて話も聞きますが、それ以外にも共通する「文化」の「リテラシー」も必要ということですね。

私が英語を学ぶのも、単に言語を学びたいんじゃないんです。海外の文化を知りてたくて、でも文化というのは言語抜きには理解できないから学んでいるんです。まさに読み書きの意味の「リテラシー」と、「文化」を読み解く「リテラシー」の両方を身に付けたいと思っています。

 

これからの「リテラシー

最近思うのが、昔のように「みんなが知っている」ものが減ってきたのではないかということです。インターネットで各自の好みに特化した情報が手に入るようになっている一方、興味がない情報に触れる機会が減っているように思えます。私が子どもの頃の情報源といえば、テレビか新聞、雑誌だけでした。なのでいつもテレビに出ている人、新聞や雑誌に載っている話はみんなの共通の話題だったんですね。あ、ラジオを聴いていると通なんだみたいな風潮は、まさに「象徴的闘争」ですね。

これからはある分野の「リテラシー」は高いけど、別の分野の「リテラシー」は低い人というのもたくさん出てきそうだなあと思います。実際、ある分野では権威あるプロが、専門外ではおかしなことを言ってしまうなんて現象は見たことがあります。そうなると、もっと広い視野の「リテラシー」を学ぶ必要があるのかななんて考えています。

 

とある喫茶店での事件

先日、とある喫茶店へ行ったのですが、そこで起きた実話です。

 

ささやかな趣味

趣味というほどのものでもありませんが、遠方に用事がある場合、その土地の喫茶店に寄ることを楽しみにしています。名物メニューを注文すると決めていて、事前に評判を調べてから行きます。

 

とある喫茶店

そのお店があるのは、年に1〜2度だけ用事がある場所です。名物はタマゴサンド。ずっと気になっていて、食べたかったのです。

 

とにかく縁がない

まず、営業時間が特殊なんです。喫茶兼バーの営業なので、15時開店です。そこを通るのはたいていランチタイムなので、ついでに寄るということが中々できませんでした。どうしても行ってみたかったので、開店時間に合わせて他の予定を組んだことがありました。満を持して行ったところ、なんと、定休日が変わっていたのです。事前に調べていたのですが、情報が古くなっていたようです。

そして先日、再びチャレンジしました。定休日でもないし、時間も15時。これでバッチリと思ったら、「しばらくの間16時から営業します」と貼り紙がありました。がっかりしたのですが、ちょうど近くに別の気になっていた喫茶店があり、そちらで時間を潰すことにしました。その店は落ち着いていてのんびりするのに最高でした。そして16時に再訪し、無事店内に入ることができたのです。

 

不思議な雰囲気

まず、店内はポスターがたくさん貼ってり、天井からは家具が吊るされ、明かりは間接照明だけの少し不思議な雰囲気です。私が案内されたのは喫茶店とは思えない、豪華なソファーでした。やっと目的が果たせるとワクワクしていたのですが、他のお客さんが別の意味で不思議な雰囲気に思えました。

私以外に二組。一組は、男子学生と思しき、若い集団。なにやら大きな声で注文の相談をしています。聞こえてくる内容はどうもプリンやパフェのような甘いものばかり。偏見ではありますが、食べ盛りの男の子が食べるものにしてはボリュームが足りないのでは? と思いました。もう一組はオシャレ女子二人。こちらもやはり決めかねているようでした。注文を取りに来た店員さんに、もう少し時間が欲しいと告げていました。

 

やっていないんです

しばらくして私の手元にメニューの冊子が届き、一通り目を通しました。かわいらしいスイーツが並び、確かに選ぶのは難しそうだなと思いました。でもせいぜい5種類。そこまで真剣に悩むぐらい、どれもおいしいのかしらと思いながら、目当てのもが載ったページを探し当てます。

それはフード(軽食)のページ。名物のタマゴサンドが間違いなく、ある。やっと食べられると喜び勇んで店員さんにアイコンタクトを取りました。するとなぜか、オシャレ女子のひとりと目が合いました。そしてテーブルにやってきた店員さんは私が開いたページを見て一言、「今日はフードやっていないんです。厨房のものがいないんで」。

 

帰っていいですか?

それを聞いた私は迷わず、「これ目当てで来たので帰っていいですか?」と伝えました。店員さんも「もちろんです」とのことだったのでそのまま帰りました。まだお手拭きや水も貰っていなかったことが幸いでした。もし水を飲んでいたら、飲み物だけ注文してさっと出るかな。

 

少しイライラ

それから帰り道で考えました。うん、厨房の人がいないのは大変だね。わかる。新型コロナの影響下で営業するのも大変だよね。わかる。

でも16時開店の張り紙に、フードは作れませんって書いておけばいいよね。入店した段階で伝えることもできたよね。公式ホームページも、Facebooktwitterもあるよね。Googleマップにも食べログにも登録しているよね。どれかで告知できない? そうしたらさっさと帰るなり、先に寄った雰囲気のよい喫茶店で軽食を取るなりできたのになあ。

 

解けた謎

そこで思い当たったことがありました。あの男子学生たちの異様なテンション。女の子たちが延々迷っていた様子。そして私をじっと見た、目。みんなフード目当てにやってきて、ないと言われた人なのでは? そして私がどうするか気になったんだと思います。目当てのものがなかったけれど、帰る選択がとっさにできなくて、でも食べたいものがないから悩んでいたんじゃないかな。あくまで私の思いつきですが、当たっている気がします。

やっぱり入店時に伝えてあげれば親切だよなあと思ったのでした。そして、こんな場合にあっさり帰ると言える図太い精神の自分にも感心したのでした。

 

茶店めぐりは続けます

今回は残念な結果に終わりましたが、喫茶店めぐりは続けたいです。特に最近、古いお店の閉店が増えてきて、残念に思っています。大阪なら本町の蝸牛庵、東京なら神保町の白十字の閉店が特にに残念です。新型コロナの影響で、さらに廃業するお店が増えるのではないかと心配しています。

なんども通っているお店も、まだ行ったことがないお店も、可能な限り、積極的に利用したいと思います。

 

 

女子供の言うことは

ちょっと嫌なことを思い出したので、整理します。

 

「女子供の言うことは、感情的だから聞く価値がない」

「女子供(おんなこども)の言うことは、感情的だから聞く価値がない」。私が、祖父に言われた言葉です。まだ幼稚園か小学校低学年のころのはなしです。

それから私は感情をおさえること、論理的にはなしをすることを心がけてきました。その結果得られた評価は「怖い」「思いやりがない」「理屈っぽい」「女のくせに生意気だ」なのでした。

 

『感情』的なのはどっち?

最近気がついたのです。「女子どもの言うことは、感情的だから聞く価値がない」ってセリフは、自分に都合の悪いはなしを聞きたいくないという『感情』の表明ですよね。

実はこの言葉を言われたのは、祖父が私との約束をやぶったときのことなのです。「ぬいぐるみを買ってあげる」と言われ、結局買ってもらえなかったという些細なことでした。しかし子どもにとっては大問題です。さらに私の母や祖母は、約束を絶対に守る人で、逆に守れない約束はしない人たちでした。なので、私にとって約束を反故にされることは滅多にないことだったのです。約束をやぶることはよくない、嘘をついたんだと抗議すると、「女子供の言うことは」ときたんです。

思えば、「怖い」「理屈っぽい」とマイナスの評価をしてくるのは、意見が対立する男性だけでした。口では勝てなからムカつく! という『感情』がひしひしと伝わってきます。そういえば女性からは言われないのも不思議ですね。

そもそも、女子供なんてくくりが雑すぎる。新生児と還暦の人も同じなの? 男性だって誠実な人もいればモラハラDV野郎もいますよね。「女子供」と言う人は、「大人は」「男は」とくくられても怒っちゃダメだよ?

そして感情的なことが悪いこと、間違ったことだとも思いません。そんなに論理的であることが大事なら、AIと一緒に暮らせばいいんだ。

 

「女のくせに生意気」でもいい

一時は投げつけられたマイナスの評価を真に受けて、落ち込んでいたこともありました。しかし上記の事実に気づいてからは、気にするだけムダなことを悟りました。むしろ「女のくせに生意気」なんて言われたからには、相手の図星をついたんだなあと思うだけです。

そして私を「親切」「優しい」と言ってくれる人もたくさんいます。私を大事にしてくれる人たちの言葉を信じた方が、ずっと建設的だなあと思うのです。

 

 

石ふしぎ大発見展2020<大阪ショー> へ行ってきました

鉱物を集めています。鉱物といっても好きな人以外には伝わらないかもしれませんね。宝石の原石とか、天然石をイメージして貰えば大体近いです。大阪には石を売る店が少ないので、年に一度のミネラルショーは絶対参加すると決めています。

 

石ふしぎ大発見展2020<大阪ショー>

私が毎年楽しみにしているのは、石ふしぎ大発見展2020<大阪ショー>です。

石ふしぎ大発見展とは

益富地学会館が主催しているミネラルショーです。ミネラルショーとは鉱物の展示会・販売会のことです。厳密な意味の鉱物だけではなく、岩石、化石、人工石、さらには周辺の雑貨まで幅広く取り扱いがあります。

www.mineralshow.jp

京都にある益富地学会館もすてきな標本が所狭しと並んだ、魅力的な場所です。秋には<京都ショー>が予定されています。

 

鉱物とは

天然に産出する固体物質で、特定の化学組成と固有の結晶構造をもつものと定義される。

『岩石と宝石の大図鑑』 P.88

私はざっくり、岩石の中で自然にできた結晶と認識しています。オパールやガラスは結晶ではないので厳密には鉱物ではなく、準鉱物という分類になります。水や水銀など、常温で液体のものも鉱物からは外れます。『岩石と宝石の大図鑑』は写真がきれいなので、おすすめの本です。

 

 

今年は7月開催、予約制

例年4月末に開催されている本イベントですが、今年は新型コロナウイルスの影響で7月になりました。さらに事前予約制となり、ホームページから申し込む必要があります。7月15日に受付を開始したのですが、私が申し込みをした16日夜の段階で半分以上の日程が埋まっていました。人気ですね。

 

行ってきました

受付に行きます。まずは手を消毒し、体温チェックを受けます。サーモグラフィーで一瞬でした。それから申し込みの返信メールを提示します。入館証を受け取ったら、会場に入れるようになります。会場案内の冊子と、鉱物の写真が印刷された紙袋もいただきました。

会場内は以前より通路を広く取ってあります。その分出店数は減った印象です。それでもいつも立ち寄るお店はほとんど来ていたのでうれしかったです。

人数制限をしているだけあって、混雑もなくゆっくり見ることができました。毎年これでいいかもと思う反面、申し込みが間に合わなかった場合を考えると困るなあと思いました。何より、受付や警備の人を用意するのが大変そうです。採算がとれるのかなと余計な心配をしてしまいました。

 

蛍石を買いました

私が集めているのはサムネイル(親指)サイズの結晶です。それ以外にも細かいこだわりがあるので、欲しい石がいつも見つかるわけではありません。今回も条件に当てはまる、気に入ったものがありませんでした。しかしこの困難な状況でも開催されたことがうれしく、何か貢献したいなあと思いました。

加工されたものは普段選ばないのですが、今日はきれいな八面体蛍石が気になりました。原石を人の手で割ったものなのですが、自然と八面体になるんですって。なにやらコツがあるとの噂なのですが、私も一度やってみたいなあと思っています。安かったので、たくさん買いました。飴玉や砂糖菓子を思わせるかわいさなので、コレクションとは別の場所に飾っておきたいと思います。

夫も私の影響を受け、鉱物マニアになりました。十字石が欲しかったはずなのに、なぜか瑪瑙を買い込んでいました。

 

『ミステリアスなアンモナイトの世界』

毎年楽しみにしているのが、特別展示です。今年はアンモナイトがテーマ。化石と解説を見比べるのが楽しいのです。日本はアンモナイトの化石の産出量が多い国だとは初めて知りました。アンモナイトと聞いて思い浮かべるオウムガイのような渦巻き状のものから、異常巻きといわれるグネグネとしか表現しようのない不思議なものまでたくさん展示されていました。写真撮影は禁止でした。

 

この12年で感じた変化

私が鉱物に興味を持つようになってから13年、ミネラルショーへ通うようになってからは12年が経ちます。その中で変わったなあと感じた変化があります。

初めて行った石ふしぎ大発見展はもう少し会場が小さく、こぢんまりした印象でした。そして女性はほとんど見かけませんでした。数少ない女性はパワーストーンと呼ばれる類に興味があるようで、地味な原石を見る人はほとんどいませんでした。店員さんも難しい顔をした男性ばかり。実はみなさんとても親切なのですが、話しかけるまではちょっと怖いなあと思ったものです。海外のバイヤーさんとの会話は基本英語です。

それから開催場所はずっと変わりませんが、会場の面積は年々広くなっています。女性も増え、マニアックな鉱物談義を繰り広げています。店員さんにも女性が増え、海外バイヤーさんは流暢な日本語で話しかけてきます。

何より、ディスプレイが明るくなりました。LEDライトが普及したことも関係あるのかな。前は薄暗いテーブルに無造作に置かれた段ボールから、目当てのものを探し当てていました。最近ではアクリル板に美しく並べられ、ライトアップされています。今の方がもちろん見やすいのですが、以前のあの、少し怪しい雰囲気が時々懐かしくなります。

 

来年もぜひ開催されて欲しい

新型コロナウイルスの影響がいつまで続くのか心配です。来年には通常通り開催できる状態に戻っていて欲しいなと願っています。

 

 『楽しい鉱物図鑑』も美しい鉱石の写真が多く、好きな本です。

 

個人的に好きなアイスクリーム ランキング(夏編)

アイスを冷凍庫に常備するとQOL(生活の質)が上がるというはなしを見かけたので、真似してたくさん買ってきました。出先のスーパーで半額セールをしていて、ラッキーでした。スーパーで売っているもので、私が好きなアイスクリーム ランキングを勝手に発表します!

 

私が好きなアイスクリーム ランキング(夏編)

1位:明治 エッセル スーパーカップ 超バニラ

ミルク感の強いバニラ味。他にもっと高級でリッチなアイスもあるけれど、夏場は濃厚なものよりさっぱりしたこれがいい。たっぷり入っているのも幸せ。思い切って1度で丸々食べる贅沢もよし、2回に分けて楽しみを残すのもよし。

 

2位:森永製菓 チョコモナカジャンボ

モナカのコンディションによって評価が変わるやつ。保存状態がいいとモナカがパリッとして最高においしいの。その場合は1位なんだけど、ちょっと湿気てる時があるので2位。中にパリパリの板チョコが入っているのでボリュームがあるのがいい。夫の大好物でもある。量が多いので半分こして食べる。

 

3位:森永製菓 サンデーカップ

安いのにサンデーの名前で贅沢感がある。子どものころに1番好きだったアイス。上のチョコソースの部分と、パリパリチョコが好き。

 

おまけ:森永製菓 パリパリバー

8本入りのマルチパックなので別枠。量がちょうどいいから夏場はいつも冷凍庫に入っている。これもパリパリチョコ入り。

 

結論・チョコがパリパリしたやつが好き

1位以外は全て森永製菓のパリパリチョコ入りでした。とにかくチョコがパリパリしてたら好きらしい。

 

そしてこのランキングは夏編です。冬はもっと濃厚なものが食べたくなるので、違う内容になります。ビエネッタ、板チョコアイスあたりかな。またチョコがパリパリしたやつだ。

 

ランキングを考えるのが楽しかったので、冬編もいつか書きます。