イイタイダケ

言いたいだけです。

『人がうごくコンテンツのつくり方』で知る「コンテンツ」って何だろう? の答え

最近耳にする「コンテンツ」という言葉。そのまま和訳すると「中身」。結局何を意味するのだろうと思い『人がうごくコンテンツのつくり方』を読みました。

 

著者の髙瀬敦也さんはテレビ番組の『逃走中』を企画された方です。私も同番組は深夜放送のころに楽しく見ていました!

 

本書によると

世の中のものはすべて「コンテンツ」

であり

誰かがコンテンツだと思えばコンテンツ

なのだそうです。

 

そしてものごとをコンテンツ化するためには「どこから見るか、誰から見るか」をおさえて「狭めること」。さらに「制約」や「目的」があってこそ成り立つとが例をあげて書かれています。この例が『お茶碗 山田くん』とか『シュウマイおじさん』など分かりやすくおもしろいんです。

 

新しいアイデアは0から1を生むイメージがあったのですが、あとがきによると

0から1は生まれません

と断言されています。

 

本文中にも「過去に答えがある」「既視感を利用」など、既存のアイデアを利用することのメリットが書かれています。そこに「新しいテクノロジー」を取り込むことが大事であり、早すぎてもダメで「半歩遅れが丁度よい」ことが説明されています。先進的すぎて受け入れられないといえば思いつくのはApple Newtonです。iPhoneでやっと時代が追いついたということかな。

ja.wikipedia.org

 

特に興味深いのがマス的コンテンツとニッチ的コンテンツの対比です。昔はテレビや新聞などのマスメディアが作る、大多数に受けることを目的としたマス的コンテンツが当たり前でした。対してこれからはインターネットの普及によりニッチ的な

誰にでもではなく「誰か」に刺さるもの

 が主流になります。

今後「メガトレンド」は二度と生まれない

という言葉にはとても納得しました。最近、みんなが知っているということが減ってきたように思っていたのです。退職した職場でも、人によって知っている俳優や見ているドラマ、聴いている音楽が全く違ったからです。

 

「何が当たるかなんて分からない」ので「続ける」ことの大切さも説明されています。私も終了してしまったサービスや商品を後から知り、今も存続していたら応援できたのに!と残念に思うことが多々あるのでよく分かります。

 

このブログも「誰か」に刺さる文章を書き「続ける」ことで、興味を持ってくれる人に届けられたらいいなあと思いました。