わかっているようでわからない、日本語 /『日本語教室』と『日本語という外国語 』
ブログを書いていて気になることがあります。それは、自分が使っている日本語は正しいの? ということです。そこで改めて日本語とは何かを学ぶことにしました。
『日本語教室』
作家、井上ひさしさんの講義を再現した本です。縄文時代、東北弁が標準語だった説がおもしろい。出雲でも東北のいわゆる「ズーズー弁」がはなされていることを初めて知りました。本当に東北弁が標準語だった時代があるのかは、諸説あるのでわからないとのことです。
芝居を書くときに気をつけることを、興味深く読みました。やまとことばでないとだめで、漢語ではお客さんの理解が一瞬遅れるとのこと。やまとことばというのは漢語や外来語ではない、「見る」「取る」「山(やま)」「海(うみ)」のような日本語の固有語のことです。確かに漢語だと同音異義語が多すぎて、どの意味か悩んでしまう。「こうしょう」という言葉には48もの意味があるんですって!
また、「う」という母音は客席に届きづらく、そのため「い」の音を生かすそうです。色々と工夫されているんだなあと感心しました。次に舞台を観るときに注目(注耳?)してみよう。
しかし日本語の文法を勉強しようと思ったのに
私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです。無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから
『日本語教室』P.161
と言われてしまいました。確かにその通りだ。
『日本語という外国語 』
本書が書かれた当時、自分の第一のことばとして日本語を話す人の数は、全言語のうち第9位なんですって。ドイツ語やフランス語の話し手より多いことに驚きました。
日本語は単語の数が多く、習得するのは難しいイメージがありました。しかし音の数が少ないため、「話しことば」の日本語は意外にやさしいとあり、その通りだなと考え直しました。ただし音の数が少ないために、同音異義語が多くなるという問題があります。これは『日本語教室』でも指摘された通りで、漢語で起こることが多い現象ですね。
『は』と『が』の使い分け
- 私は鈴木です
- 私が鈴木です
の「は」と「が」の使い分けに関しては、どちらの本にも同じことが書かれています。既知の旧情報には「は」を、未知の新情報を受ける場合は「が」を使うのです。意識せずに使い分けているので、説明されると不思議な感じがします。
外国人学習者に『は』と『が』の使い分けを教える場合はもっとシンプルに教えるようです。
「何」「誰」のように疑問を示す語が最初に来る文では「が」を使う。と、単純なルールにして教えます。
『日本語という外国語 』P.122
日本語を学ぶことは外国語を学ぶことにも繋がる
『日本語教室』では母語より大きい外国語は覚えられないので、英語より大きい母語が必要だと書かれています。
これはちょっと疑問に思いました。本書にも出てきた「リコンファーム」は日本語では「予約再確認」なのですが、わざわざ和訳せずに理解していました。でも、飛行機・予約・搭乗・再び・確認などの言葉を母語として知らない場合は理解できないか。確かに、知らない概念をいきなり外国語で理解するのは難しそうです。
そもそも正しい日本語とは
自分が書く日本語が乱れているのでは、と気になって本を読み始めました。しかし『日本語教室』によると、言葉は常に乱れているのでそう心配することもないそうです。言葉は多数決で、どんな間違った言葉でも大勢の人が使い出すと、それは正しい言葉になってしまうからです。
前の職場で働いていてずっと気になっていることがありました。「代替(だいたい)」なのですが、私以外全員「だいがえ」って言うんですよね。その方が伝わりやすいのは理解できますが、逆に「だいたい」でもわかると思うんですよね。自分一人で「だいたい」と言っていると、私の方が間違えている気持ちになってきます。これからは「だいがえ」が正しいということになるんだろうなあ。
正しさよりも大切なことは共感
「美しい日本語」などありえない
『日本語教室』P.107
使っている人の言葉のそれぞれが日本語で、その総和が日本語なのだと僕は思っています。だからわれわれ一人一人が日本語を勉強して、日本語を正確に、しかも情感をこめて、自分のことはちゃんと相手に言えるし、伝えることができる、そのような言葉を一人一人が磨くしかないと思っています。
『日本語教室』P.109
結局、正しさにこだわる必要はないということですね。『日本語という外国語 』でも学習者と、学習者が話す相手とが気持ちよく日本語のやりとりができることが重要と説かれています。
伝えたいことがあること。伝えようと努力すること。そして相手を理解しようとすること。共感すること。正しさよりも大切なことに気がつきました。