映画を観て『無職の間にやりたいこと100』を完了させたよ
『無職の間にやりたいこと100』に載せていた映画を観ました。無職の間には間に合いませんでしたが、これにて完了です。
ミスポター
ピーターラビットが大好きなのと、湖水地方の風景が見たくて選びました。
ベアトリクス・ポターに関しては何冊か書籍を読んでいます。偏屈で、器量も良い方ではないイメージがありました。映画ではそこは薄めてあって、意志が強くチャーミングな女性として描かれていました。父母との関係も割とマイルドになってたかな。
ポターの空想で絵からピーターたちが飛び出してくる様子、ロンドンの家のインテリア、ヒルトップ・コテージ周辺の風景などはすべて美しく、うっとりしました。
個人的にユアン・マクレガーが出ている映画にハズレなしというジンクスがあり、やはりハズレなしでした。
ライフ・イズ・ビューティフル
まずイタリア映画だったことにびっくり。だって英語のカタカナ表記がタイトルだから、てっきり原題も英語だって思うでしょ。
イタリア映画はニューシネマ・パラダイスぐらいしか観たことがないのですが、ノリが似てるなあというのが第一印象。そして戦時中の話ということで身構えていたのに、前半はコメディータッチのラブロマンスで驚きました。せいぜい町に貼られたポスターと、馬への嫌がらせぐらいですかね、戦争を示すものは。
美しい日々は過ぎ、一転厳しい世の中に。主人公と息子、叔父はユダヤ人ということでナチスの強制収容所に送られてしまいます。そこで主人公の妻までついていったのには驚きました。彼女はユダヤ人ではないのだし、実家もお金はありそうなので、残って帰りを待つわけにはいかなかったのかな。最善の行動とは思えなかったのですが、かといって別れるわけにもいかなかったのでしょうね。
主人公は息子に、この特殊な環境はゲームであり、一位になったら本物の戦車がもらえるんだと教えます。もちろん嘘ですよ。そして一位になるためには隠れていなきゃいけない。そのおかげで息子は終戦まで生き抜くことができました。周囲の人も消極的には協力してくれているんですよね。自分たちの身だって危ないのに。
迎えにきたのはアメリカ軍の戦車。息子は戦車に乗って大喜び。主人公の嘘が本当になったというわけです。このアメリカ軍の兵士がいかにもマッチョ・ヒーローって感じでちょっとムカつく。実際にもこんな感じだったんだろうな。心から良い事をしたと思ってるんだ。勝った国が正義になる。
その主人公のラストは納得がいかないのですが、ハッピーエンドにするわけにはいかなかったのでしょうか。というか普通に戦争犯罪じゃん。
今起きていることに対して何ができるか。状況に流されるのではなく選択することができる事を教えてくれる映画です。
度々読み返す本に『夜と霧』があります。こちらはアウシュビッツに収容されていたユダヤ人精神科医が書いた本です。過酷な環境に対して人はどのような態度を取るのか。『ライフイズビューティフル』と共通した主題を持つ本です。
尼僧物語
美しいオードリー・ヘップバーンが見たくて鑑賞。内容もとてもよかった。こちらもライフ・イズ・ビューティフルと同じ時代の話ですね。舞台はベルギーです。
自分は尼僧になりたいとはかけらも思ってはいませんが、「内面の沈黙」には興味があります。是非得たいものですが、それ以上に世俗に未練があるので無理そうです。尼僧の掟にも疑問がたくさんあります。まさに本末転倒、手段と目的が入れ替わってる。まさにそこがオードリー=シスター・ルークの「病気」なんですよね。良心と信仰が対立するんです。
自分はよく正義感が強いと言われるんですけど、自覚がなくて不思議だったんです。そして最近謎が解けたんですよ。自分が従っているのは自分の良心、または自分が「人として当たり前であると思うこと」なんですね。そこに対しては厳しいので、他人から見れば正義感が強いように見えるようです。でも正直世間の正義とかルールには興味がありません。もちろん大幅に社会からはみ出したら生活に支障が出ることは分かっているので、ある程度は守りますが。
映画でも「患者が話したがっているのに、鐘がなったら離れなければならないのはなぜか」とシスター・ルークが問うんです。多分私も同じところで引っかかっただろうなあ。目の前の人と向き合うこと以上に大切なことなんてないんですよ。それが信仰や尼僧の掟であったとしても。
そもそもシスター・ルークがなりたかったのは貧しい人々を助ける看護師であり、尼僧になるのはその手段に過ぎないわけです。当人は自覚していなくても上手くいくはずないんですよ。
なのでシスター・ルークが修道院から出て行くシーンはスッキリしました。彼女はこれから尼僧であった時以上に、たくさんの人を救うでしょう。何より振り返らない、後ろ姿のオードリーが凛として素敵でした。