イイタイダケ

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『進撃の巨人』最終話を読んだので、勝手な感想【ネタバレ注意!】

進撃の巨人』最終話を読みました。ナチュラルにネタバレしますので、未読の方はお気をつけください。

 

あくまでも個人的な感想です

特に熱心なファンというわけではありません。単行本で追いかけていて、読むのも1度きり。なので誤読している可能性もあります。

それでも、とても楽しんで読みました。色々考えることも多い作品だったので、感想を残します。特に気になった点のみ記しますので、まとまりもありません。

 

私の『進撃の巨人』歴

最初に読んだのは6年ほど前。タイトルは知っていたのですが、ずっと野球マンガだと思っていたんですよ。今でも野球って人気があるんだなーと、流行っていることを不思議に思っていました。夫が所持していて、「おもしろい」と言うので借りました。

まだ地下室にたどり着く前でしたので、そこには何があるんだろうと、ワクワクしながら読み進めたことを思い出します。以降、単行本が出るたびに夫に借りて読むことが習慣となりました。ちなみに、アニメ、映画は未見です。

 

結局「巨人」って何なの?

個人的に期待していたのは、巨人に何らかの物理的・科学的な根拠が示されることでした。体積の割に軽いことなどが示されていたので、ナノマシンだとおもしろいなと思っていたのです。しかし始祖ユミルが作った、で終わりでしたね。そこはちょっとがっかり。でも、砂でコネコネは斬新でした。エルディア人全員が巨人化する時は、ユミルめっちゃ忙しいな! と思いました。時間は関係ないにしてもね。

 

ユミルは本当に王を愛していたの?

ユミルがなぜ王に囚われていたのか。それは「王を愛していた」から。これはエレンが言っただけのことなので、真相かどうかはわかりませんが、真実に近いのだと思います。

最初は、どうして自分をひどい目に合わせた王を愛していたんだろうかと疑問に思いました。でも、ひどい目に合わせた故に愛していたのかなと考え直しました。

好きの反対は無関心という言葉があります。奴隷という立場、おそらく舌を抜かれて喋ることのできない、性格もおとなしいユミル。そんな彼女に、歪んだ状態であれ、関心を示したのは王だけだったのではないかと思うのです。

また、憎しみと愛は表裏一体とも表現されます。愛が強い憎しみに変わるように、憎しみが愛に変わる(錯覚する)こともあるのかなと。私自身、嫌いな人のことばかり考えてしまうことがあります。さっさと無関心になればいいのに、認めてもらいたいと執着してしまう。そんな感じなのかなと思いました。

 

注目! ハルキゲニア

そのユミルですが、「有機生物の起源」と接触したとジークが語ります。この「有機生物の起源」とは何なのでしょうか。

ハルキゲニアに似ていると夫と話していたのですが、本当にハルキゲニアがモデルであることが作中で示されましたね。なぜ後ろにいるアノマロカリスではダメだったのかと思いましたが、ハルキゲニアである必然性に気がつきました。

 

何もかも逆に復元された、ハルキゲニア

ハルキゲニアとは、カンブリア紀に実在した生物です。現代の生き物から考えると非常に不思議な形態をしています。それゆえ、化石から復元する際に、何度も間違った姿で想像されていました。

脚と背中の棘、頭と尻尾が取り違えられていたことが特に有名です。

ハルキゲニアを代表とする、カンブリア紀の生物については『ワンダフル・ライフ』という本が詳しいです。文章が装飾過多のため、ちょっと読みにくいかもしれませんが、興味深い本です。

 

 

あべこべの世界

進撃の巨人』の世界観として印象的なのが、事象が現実世界と逆になっていることです。

・太陽が出る方向が逆(検索したら詳しい考察が出てきますので、ここでは略)

・文字が逆(エレンの墓碑銘は本を逆さまに持てば読めます)

・原因と結果が逆(過去から未来だけではなく、未来から過去にも因果がつながる)

 

視点を変えれば逆になる=ハルキゲニア的な世界観

また、島の内・外で立場が変われば、善悪も変わる点も印象的でした。お互いを悪魔と呼び合う世界でしたね。

ここで解釈によって上下、前後が変わってしまうハルキゲニアが、この作品を象徴していることに気がつきました。

 

エレンが持つ「巨人」の能力と、SF小説

「始祖の力がもたらす影響には過去も未来もない… 同時に存在する」の発言から、真っ先に思い出したのが、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』です。

宇宙人と接触することで、未来と過去を同時に知覚することが出来るようになった、言語学者の話です。主人公の思考と同期することができれば、パッと見える世界が変わる、魅力的な物語です。『メッセージ』という邦題で、映画化もされています。

 

 

もう一つ思い出したのがカート・ヴォネガットの古典的名作、『スローターハウス5』です。

エレンの「頭がめちゃくちゃになっちまった…」を理解するにはこちらの方がわかりやすいかも。この作品に出てくる宇宙人トラルファマドール星人は、過去から未来にわたる全ての時間を同時に一望することができる能力があります。

 

物語とキャラクターの主従

特にエレン、ミカサ、アルミンに感じることです。それぞれ魅力的な特徴を備えた登場人物のはずなのに、私にはぼんやりとした存在に思えるのです

進撃はゴールありきで書かれた作品なのだと思います。そうなると、重要なキャラクターほど、最終シーンと矛盾する行動はとれなくなるんですね。結果、ストーリーに従うために動くことになる。

逆に、どこで退場しても最終局面に影響を与えないキャラクターの方が、生き生きと、濃く感じられました。サシャやハンジがそうですね。大事ではないという意味ではないです。どう行動しても、ゴールには関係ないという意味です。

 

最終巻で一番好きなシーン

エレンとアルミンが子供の姿で語り合う場面です。1巻の時のワクワク、未来がまだ無限だと思っていた、彼らの姿が思い出されます。

その後の「そんなの嫌だ!! ミカサに男できるなんて…!!」と本音を漏らすエレンも、結末のためのコマではなく、物語を生きている感じがして好きですね。かっこ悪いけど、それがいい。エレンからミカサに対する感情を明言するのも全編通してこのシーンだけです。アルミンにはダサいところも見せられる。そんな友人がいることも、すべての業を一人で負うことにしたエレンにとっての、救いだと感じられました。

 

どこで間違えたの?

悲劇の連続が『進撃の巨人』の魅力ではありますが、やり直して少しでもよりよい過程を選べるならと考えました。するとやはりマルコの死が分岐かなあと思います。

ライナー、ベルトルトとマルコが「対話」できていたら、犠牲はちょっとは少なく済んだのではと思います。そもそも、因果が未来を発端とするなら、やり直しはできないんですけどね。なのであくまで私の想像、希望ですが。

 

139話34巻

巨人の寿命が13年であることをはじめ、作者は素数に思い入れがある印象です。なので139話で終了というのには、すぐに納得がいきました。流石に巻数までは調整できなかったかと思っていたら、139は34番目の素数であることに気がつきました。そこまでこだわるとは、すごいですね。

 

進撃の巨人』を読んで

個人的な嗜好として、謎がある作品が好きです。なので、どうして? が多い『進撃の巨人』は魅力的な作品でした。そして謎はすべて回収されましたので、読み終えて満足しています。

また、立場や信念によって善悪・正義が変わることを描いた点も好ましく感じます。視野を広く持つことの大切さは、独特の構図からも伝わってきました。一つのコマで複数の物語が展開する表現は舞台的にも感じられ、私好みでした。

エレンとミカサの物語としてはきれいに締めくくられていますが、アルミンをはじめとする104期や、マーレ側の登場人物のその後があれば、読んでみたいなあと思います。