イイタイダケ

言いたいだけです。

女子供の言うことは

ちょっと嫌なことを思い出したので、整理します。

 

「女子供の言うことは、感情的だから聞く価値がない」

「女子供(おんなこども)の言うことは、感情的だから聞く価値がない」。私が、祖父に言われた言葉です。まだ幼稚園か小学校低学年のころのはなしです。

それから私は感情をおさえること、論理的にはなしをすることを心がけてきました。その結果得られた評価は「怖い」「思いやりがない」「理屈っぽい」「女のくせに生意気だ」なのでした。

 

『感情』的なのはどっち?

最近気がついたのです。「女子どもの言うことは、感情的だから聞く価値がない」ってセリフは、自分に都合の悪いはなしを聞きたいくないという『感情』の表明ですよね。

実はこの言葉を言われたのは、祖父が私との約束をやぶったときのことなのです。「ぬいぐるみを買ってあげる」と言われ、結局買ってもらえなかったという些細なことでした。しかし子どもにとっては大問題です。さらに私の母や祖母は、約束を絶対に守る人で、逆に守れない約束はしない人たちでした。なので、私にとって約束を反故にされることは滅多にないことだったのです。約束をやぶることはよくない、嘘をついたんだと抗議すると、「女子供の言うことは」ときたんです。

思えば、「怖い」「理屈っぽい」とマイナスの評価をしてくるのは、意見が対立する男性だけでした。口では勝てなからムカつく! という『感情』がひしひしと伝わってきます。そういえば女性からは言われないのも不思議ですね。

そもそも、女子供なんてくくりが雑すぎる。新生児と還暦の人も同じなの? 男性だって誠実な人もいればモラハラDV野郎もいますよね。「女子供」と言う人は、「大人は」「男は」とくくられても怒っちゃダメだよ?

そして感情的なことが悪いこと、間違ったことだとも思いません。そんなに論理的であることが大事なら、AIと一緒に暮らせばいいんだ。

 

「女のくせに生意気」でもいい

一時は投げつけられたマイナスの評価を真に受けて、落ち込んでいたこともありました。しかし上記の事実に気づいてからは、気にするだけムダなことを悟りました。むしろ「女のくせに生意気」なんて言われたからには、相手の図星をついたんだなあと思うだけです。

そして私を「親切」「優しい」と言ってくれる人もたくさんいます。私を大事にしてくれる人たちの言葉を信じた方が、ずっと建設的だなあと思うのです。