イイタイダケ

言いたいだけです。

私が、「私」になるまで / 「普通」になりたかった私

このブログを始めた一番の理由はこの記事を書きたかったからです。頭の中にはずっとあったのですが、まとまりませんでした。今も中途半端な状態ですが、少し形になってきたので、記しておきます。

 

ずっと感じていた「生きづらさ」

ずっと「生きづらさ」を感じていました。周囲となじめず、生きていることが本当につらく思えました。

小学生のときは、数少ない友人以外とうまくつきあうことができませんでした。中学生の間は、学校では心を殺して何も感じないようにして過ごしていました。幸い部活では気があう仲間がいたこと、読書という趣味があったことで救われました。高校生になり、色々な学校から人が集まることで閉塞的な雰囲気が薄れ、友人も増えたことで少しは楽になりました。大学は自由な校風が肌に合ったのか、とても楽しく過ごせました。しかし社会人になり再び以前と同じ状態に戻ってしまいました。

 

「普通」がわからない

一番困っていたことは、「普通」が分からないことでした。そもそも「普通」とは何かという問題がありますし、「普通」の人が存在するわけではないことは理解しています。

それでも大多数の人が考えること、一般的な行動、他人から見て奇妙に思われないふるまいが私には分からなかったんです。空気が読めないともいえます。実際、「変わっている」と言われることも多く、そのたびに落ち込みました。

 

母との関係

私の母は、はっきり言って変です。昭和の時代に親に内緒でアメリカ留学に行ってくる程度にはエキセントリックな人です。そして「片付けられない女」でもあります。さらに言うと衛生観念や金銭感覚、食への執着がおかしい。家事をしない、でも私が家事をすると怒る。声が異常に大きく、誰に注意されても治らない。かまってちゃんで、精神的にもかなり不安定な人です。 

悪口みたいな書き方ですが、事実です。ちなみに仲はいいです。ただし親子としての相性は最悪です。私が大人になってからは私が母で、母が娘のような感覚です。私が結婚して距離ができたこともあり、今が最も安定した関係です。

 

 

「普通」を学ぶ機会が少なかった

父は繊細で打たれ弱いところはありましたが、まあ「普通」の人だったと思います。ただし幼いころは単身赴任で不在、私が二十歳の時に亡くなっているので一緒に過ごす時間がほとんどありませんでした。父方の祖父母は早くに亡くなっています。母方の祖母は私をとてもかわいがってくれていますが、世間知らずのお嬢様育ちなので、少し世間からはズレています。祖父は忙しい人だったので基本会うことはなく、高圧的なところが苦手なので避けて過ごしていました。

そんなわけで私は「普通」を学ぶ機会が極端に少なかったんです。幸いにも友人には恵まれていました。そして友達と、その家族を見て「普通」を知ることになりました。後にインターネットが発達したことも助けになりました。たくさんの人の意見を知ることができるようになったからです。

 

自己肯定感の低さと、劣等感との戦い

「普通」でないことから、自己肯定感が極端に低い人間でした。そこで劣等感をなくすことができれば、自信が持てるのではないかと考えるようになりました。今までの人生は、劣等感との戦いとイコールになります。

太っている、出っ歯、ニキビがたくさんあって肌が汚い、周囲になじめない、人を怒らせる、頭が悪い、逆上がりができない、走るのが遅い、朝起きられない、体調が悪い、やるべきことをきちんとこなせない、感情をコントロールできない、いつも混乱している。これらの欠点をなくすために、ダイエット、歯列矯正、美容、愛想を身につけること、相手をよく見ること、勉強、筋トレ、フルマラソン完走、早起き、ヨガ、ToDoリストの作成、瞑想、自己啓発などを行ってきました。努力もしましたし、結果も出してきました。そして多少は自信がつきました。

でも、自己肯定感は高くなりませんでした。自信と自己肯定感は別物なんです。やればできる自分ではなく、ありのままの自分を受け入れることができなかったんです。

 

仕事を通してやっと「普通」になれた?

前職は営業事務でした。そして振り返ると、自分の苦手なことを集めたような仕事でした。相手の空気を読む、騒がしい環境で集中する、即断即決。常にコミュニケーションを取って仕事を進め、休日も一緒に遊びに行くような職場でした。そしていわゆる「普通」の人に囲まれて過ごしました。

ひとりで黙々と作業をし、静かな環境でじっくり考えることが好き。できる限り人とは関わらず、休日は引きこもる私とは全く正反対の性質の職場でした。

そんなわけで10年以上も働いたのに結局慣れないまま退職することになりました。そして慣れなくても、できるようにはなったんです。嫌だけど、できる。苦手だけど、できる。「普通」の人と同じようにふるまえる。そこでやっと私は「普通」に近づけたんだなと実感することができました。

 

自分を知ることが大事

劣等感との戦いの中で、自己啓発にのめり込んでいきました。ちょうどライフハック系のWEBサイトが流行っていた時期でもあったので、役に立ちそうな記事は可能なかぎり目を通しました。たくさんの本を読み、実践しました。すぐに役立つメソッドもたくさんありましたが、その中で一番大事だと思ったのは、自分を知ることでした。自分が今どんな人間で、これからどんな人間でありたいのか。現在地と目的地を明確にしなければ、道に迷うだけです。

今まで感じたうれしかったこと、悲しかったこと。できること、できないこと。好きなこと、嫌いなこと。一緒にいたい人、離れたい人。これからやりたいこと、やりたくないこと。ずっと考えてきました。とても時間がかかる作業でした。そして少しずつではありますが、自分への理解を深めてきました。

 

「普通」の人より「私」が好き

そして突然、自分が好きになれたんです。もちろん完璧な人でも、特別に成功したわけでもない。嫌いなことも。できないこともたくさんある。そんな「私」が好きになりました。そしてやっと、「普通」の人ではなく、「私」として生きることを認めることができたのです。

その過程で役に立ったのは、仕事を通して「普通」に近づけた実感です。「普通」に近づくまでに、自分が苦手なこと、不快に感じることに徹底的に向き合うことになりました。その分、自分が得意なこと、好ましく感じることを知ることができたのです。そしてあれだけこだわっていた「普通」はどうでもよくなり、「私」として生きるために退職を決めました。もちろん職場への不満もありましたが、以前の状態の私なら辞める決断はできなかったと思います。

そして自己肯定感が高まると、劣等感を解消することで身についた自信からも力を得ることができるようになりました。

 

私は、「私」として生きることに決めた

今後も自分を知ることは続けていきたいと思います。そして「私」として生き、「私」として人と接し、「私」として働き、「私」として人生を楽しむことにします。

 

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